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仏式の葬儀を行うと、自動的についてくる「戒名」

仏式の葬儀を行うと、自動的についてくるのが戒名だ。これも「お宅様ほどになりますと、やはり院号を……」とかいわれるとグラッとくるが、それで五〇万、一〇〇万と上積みしても、位牌や墓石に多少の箔がつく程度(ですよ実際は)。ランクの高い戒名にしてしまうと、後の仏壇や法要などの値段にも、いちいち響いてくる。戒名に対する考え方はしかし、論者によってまちまちだ。明治の文豪は互いに戒名をつけあったというのは有名な話。現代でも、たとえば作家の山田風太郎の戒名は、自分でつけた「風々院風々風々居士」である。戒名は「あの世」での名前、遺族が故人を偲んでつけても、また生前に自分でつけてもいいのだという人(二村祐輔『知ってトクするお葬式とお墓の知恵』)。自分の戒名は仏弟子になった証し、自分でつけた戒名など偽造した入学許可証と同じだという人(横田睦『お墓博士のお墓と葬儀のお金の話』)。戒名はキリスト教におけるクリスチャンネームと同じブディストネーム、自分でつけるのは変だが仏教徒でないなら俗名でもいいという人(ひろさちや『お葬式をどうするか』)。要は戒名に価値を見いだすか否か、である。俗名で葬儀をすること自体に問題はない。迷っているなら、「あとで菩提寺でつけてもらいますので」などの口実でひとまず俗名で葬儀をし、あとでゆっくり考えることもできる。あるいは、最低ランクの戒名でいいと頑張った人もいる。歌舞伎役者の六代目尾上菊五郎は「オレが死んだら、院号なんぞつけたら、化けて出るぞ」と周囲をおどかしていたために、墓石に刻まれているのは「菊五郎居士」だけだという(島田裕巳『増補新版戒名』)。それもカッコイイ生き方=逝き方ではないだろうか。

正しいお辞儀で好印象に

見合いの席では、初対面のあいさつとしてお辞儀をすることになり、その仕方で印象をよくも悪くもしてしまう。お辞儀をするときは、深々と頭を下げればいいというものではないから難しい。正しく美しいお辞儀は、背筋を伸ばして上半身を静かに傾け、体が下がるのに平行して、頭も静かに下げる。どのぐらい頭を下げるかについては、座ってお辞儀をする場合も、立ってお辞儀をする場合も、真(最敬礼)、行(敬礼)、草(会釈)の三種類に分けられる。まず、座ってお辞儀をするときは、真の礼では、手のひらを畳につけ、頭が畳から一五センチになるぐらいまで下げる。頭を畳にこすりつけるほど下げすぎると、おしりが上がってみっともないので気をつける。行の礼では、指の第二関節から先が畳につくようにして、畳から四五センチぐらいまで頭を下げる。草の礼では、指先だけを畳につけ、手は自然にすっと伸ばしたまま、上半身を軽く傾ける。真の礼は上体を約四五度、行の礼は約三〇度、草の礼は約一五度傾ける。立ってお辞儀をするときも、背筋を伸ばし、腰を軸にして傾けながら、両手を少し中央に寄せて礼をする。立っているときも座っているときも、動作はゆっくりていねいにするといい。

調べている様子の実況中継で「待たされ感」がなくなる

「少々お待ちください」と電話が保留音に変わって待たされる時間が長いと、人はイライラする。早く答えが欲しいのはもちろんだが、待っている間も、かけている側には電話代がかかっているのだ。時間がかかってしまうことが明らかなら、「お調べするのに少々お時間がかかってしまいますので、いったんお電話を切らせていただきまして、こちらから折り返しご連絡します」と言うようにしよう。わざわざ切ってお待たせするまでもない場合は、あえて電話口で調べながら話すのも手。これは優秀な受付担当者がお客様を待たせないよう気を配っていることの一つだ。「明日の予定ですね、ただいまお調べいたします。今ご予約台帳を開きます。そうですね、ご予約のご希望日は3月1日でいらっしゃいますよね……」保留音をじっと聞いていると、ただ待だされていると感じてしまうが、台帳をめくるパラパラという音とともに調べていることがわかると、不思議とイライラしないもの。これはオフィスでも応用可能なワザだ。